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気負わない鉄道ブログ。関西が中心。旧:みんちかブログ&トラックバックセンター。




奥村 利幸 (*) : シリーズホームページ訪問(阪急電鉄). (財)関西情報センター機関誌「KIIS」, Vol.106 (1998年1月).
阪急電鉄のWWWサーバは1994年12月、阪神淡路大震災の約1ヶ月前に産声をあげました。当初の目的はお客様へのサービス向上のためにインターネットの活用法を研究するためというものでした。当時は民間企業のホームページの数もまだ少なく、ホームページ開設の告知方法として当時最もポピュラーだったNTTの新着情コーナーにも、日に数件の登録があれば良い方でした。民鉄業界初となる本格的な情報発信サーバとして、「様々な試みを行っていきたい」と思っていた矢先に大震災が起こり、当社も神戸線を始めとして甚大な被害を受けました。私共は震災直後から全線復旧までの間、代替バス状況や復旧情報等をひたすら発信し続けました。その甲斐あって、当社ホームページが多くの方から認知されるようになり、沢山の励ましの電子メールをいただくことができました。
*: 阪急電鉄株式会社 文化・技術研究所 ネットナビチーム(当時)。

「ボランティア元年」と呼ばれた1995年は、「ネットによる災害対応 元年」でもあったのです。
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實拍滬寧城際與京滬高鐵(復興號)並排而行


滬寧都市間鉄道 - Wikipedia

京滬高速鉄道 - Wikipedia
40:11~

蒸気機関車が走っていた頃の別府鉄道 土山線(1965年)。
今年の祇園祭の花傘巡行(2018年 7月24日予定)が猛暑で中止になったのを受け、過去、祇園祭は実施したけれど山鉾巡行が中止になった事件として、大東亜戦争、阪急の地下線工事(1962年)が挙げられています:


これに関する情報があったので、ここで紹介します:

西院駅から大宮駅までの地下線が開通したのは S 6[:1931年]/ 3/31。引き続き河原町まで延長する予定であった。S 2[:1927年]には延長の免許を取得していたのですが、金融恐慌や戦争のために工事は見送られていた。

その後、日本の経済が立ち直り、高度成長に入るとともに、京都は国際的な観光都市として脚光をあびるようになった。そこで、阪急は梅田-十三間の三複線開通に伴い、30年来の念願であった河原町までの地下線延長工事に踏み切ることになり、S37[:1962年]には工事の着手にこじつけた。

烏丸通は1100年の歴史をもつ祇園祭の山鉾巡行で知られている。ここで困ったことが起きた。工事が祇園祭の時期と重なったのだ。苦慮した阪急では工事のために覆っている鉄板が巡行に耐えられるかどうか実験を敢行し、十分安全であることを確認し、万全を期するためにさらに一部をアスファイルト舗装するなどの対策を講じた。

しかし、山鉾連合会は、万が一に備えるためと、地下工事の工期に影響を与えないように、という理由で巡行を中止した。

阪急はこの連合会の厚意にいたく感動し、懸命に工事を進め、S38[:1963年]/ 6/17、大宮-河原町間 1.9 km の延長線を予定より早く竣工させた。

竣工時期から考えるに、工事に手間取ると 2年連続で山鉾巡行に支障する可能性があったことが、1年限りの山鉾巡行中止という結論に至った大きな推進力だったのだろうと考えます。

なお、出典・参考文献は、下記のいずれか(単数あるいは複数)ですが、申し訳ありませんが 特定できません。

◆草思社『阪急電鉄青春物語』橋本雅夫
◆鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル 98/ 5 No.379』
◆阪急各種無料配布物
◆TOKK '97/11/ 1
◆TOKK '97/ 2
◆TOKK '98/ 9/ 1
◆阪急ニュース 96/ 7
◆阪急ニュース 96/ 8
◆広報池田'96/8
◆朝日新聞 1998/12/ 9朝刊
◆小学館 大阪・神戸・京都・福岡の私鉄『JR・私鉄全線各駅停車』(全10巻/別冊2) 最終回配本「大阪・神戸・京都・福岡の私鉄」1993/11/20
◆阪急電鉄株式会社/旅客運賃表(営業キロ程表)
◆高槻高等学校・中学校鉄道研究部/1993STATION2
◆阪急電鉄株式会社『Guide of Hankyu Corporation』1995
◆産調出版『どうなる? 新線鉄道計画 西日本編』川島令三